板橋区議会議員 坂本あずまお あずまお日記

2010 年 11 月 のアーカイブ

あなたの生きる道

2010 年 11 月 29 日 月曜日

利己と利他、人には二つの生き方がある

自分勝手に生きる強さと、人のために生きる強さ

この傾向はその人の持って生まれた天賦、endowmentなのかと
どっちがいい悪いじゃなく、その人の生きる価値や意味そのものなんじゃないかと

たくさんの出会いと別れがあって、東京圏には毎日数千万もの人が行き交って、その人たちが膨大で複雑な人間関係を持っている

あなたの真実生きる道はどこですか?
わたしの真実生きる道はなんですか?

大海原の荒波の中で生きていくとき、この灯に気づくことができたなら、帆を掲げ進もう

だがもしパンドラの箱を開けてしまったら?それはもう、政治家か宗教家になるしかない

テロ、死ぬということ

2010 年 11 月 28 日 日曜日

生きる感触のそばで、イスタンブルでは人の死が東京よりもはるか身近に存在していた。

たまに日本のニュースでもトルコでのテロのことは取り上げていたようだ。観光地での爆発物やPKK、チェチェン関連のテロなどでよく日本から心配の電話をうけた。けれど、おそらくは実際の1/3か1/4くらいの数しか報道されていなかったように思う。
別にトルコが特に危険だったということじゃない、ただ身近だったということ。またたび1号にも書いたのだが、テロにもいろいろと起こす人間の主義主張があらわれる。音爆弾といって、大きな音だけを響かせる爆弾で誰も傷つけることはなかったり、ホテルを占領しても人質にチェチェン行進曲を大爆音で聞かせるのみだったということもあった。味方をする訳ではないが、テロを起こす人間の心情は、「国中、世界中に我々の苦しみと現状を知ってほしい、そのために騒ぎを起こす」というのが主で、そうそう民間人を巻き添えにするようなことは起こらなかった。

それでも、残念ながら年に幾度かは警察への自爆テロやビルの爆破などで人の命を奪うテロ行為が起こった。ある日、学校に通うバスで毎日横を通っていたビルは、夜中の爆破で次の日、骨組みだけ残した真っ黒な姿に。また警察の詰め所への自爆テロで数名が亡くなった事件の時はその音も振動も感じてる。一番強烈だったのは、大学のそばにあった外国人向けのおしゃれなカフェが、お茶をした3日後に爆破され3人が死亡。
一般のトルコ社会では凶悪犯罪などは少なく、痴情のもつれや親族同士のトラブルで発砲事件があるくらいで、確かにひったくりや強盗はあるけれどマンチェスターよりよっぽど身の危険は少ない。それでも、一瞬ですべてを吹き飛ばすボンバーは、自分がいつどこで巻き添えを喰ってもおかしくない状況であったし、命の危険に対する本能的な察知感覚を磨いておくことが必要だった。
当時は両親を心配させなくなかったので言えなかったが、当時はいつどこにいても、例えば町中でなにげなくバスに乗っているときも歩いている時も、あぁここでもし死んだらという覚悟と、それでも私は客死しないんだという感覚と、相反する両方は常に心のどこかに持っていた。

私がトルコを出たあとにアルカイーダのテロが活発となり、かなり悲惨な爆破がイスタンブルでも続いたようだ。暴力と、警察力と、軍事力と。いろいろと思うところあるが、また別の機会に記したいと思う。

続く

この頃の生活は楽しかった。

2010 年 11 月 28 日 日曜日

この頃の生活は楽しかった。

世の中のことも、怖さも、何も知らずに18歳で一人トルコに移り住んだ。本当に多くの人に助けてもらったし、いろいろ迷惑をかけた。当然一人で生きるのは辛くて苦しくてたくさん迷って、気づけば体重も15キロ以上減っていた。けれど、いつの日か「おれにそんな苦労があったかね?」と言えるようになるからと。そう祖父に言われたことを頼りに生きていた。

現地では知り合いを頼ってなんとか部屋を探しだし一人暮らし。料理は自炊、つくるのは好きだったけれど、18歳の男が朝昼晩自分のためだけにつくる飯はたかが知れてる。また大学生活は、中学高校時代に英語の成績が赤点ばかりだったこともあり、英語の授業についていくのだけで一苦労。むしろ文法、語順や言語感覚が似ているトルコ語の方があっという間に日常会話が身に付き、教室で英語を喋るたびに日本人トルコ人のお互いの発音の下手さを笑いあっていた。

家ではずっと自分だけの時間が続いた。そんなに社交的でもなかったし、今ほどのネットワーク環境もなかったし、ただただ自問自答、物事を思い詰め考え抜いていた。この時期に苦しみ抜いて感じた考え方や生き方はいまだに自分自身を支えているし、生きる基礎となっている。こんなに自分自身と向き合い葛藤できる時間って、人生の中でもそうはないんじゃないかな。貴重な経験。

議員をやっていれば、思想の違う人ともたくさん会うし、意見の違う人と議論をして同意をしなければいけないことがある。トルコ人っていう、宗教も生まれ育った環境も金銭感覚も何もかもが違う人たち、言葉だって全部うまく伝わるわけじゃない。この人たちと共に生きていくには、世の中渡り合っていくには、どうすればいいのか。ただぶつかり合って相手をやっつければ済むなんてことはなく、組しがたい右と左を結びつけなきゃならない。初めて会った異形の人と繋がらなければならない。向こうからしたら、私が異形。一人の人間と剥き出しの感情で向き合い、刹那に心を合わす。それでも頑として通さねばならぬところは是が非でこちらの理を通す。当時は頭で考えながらやっていたわけでもなく、斬るか斬られるか真剣勝負そのものだったし、ましてや現在の職業に活かせるなんて思いだにしなかった。

こんな喜怒哀楽、喜びも怒りも悲しみも苦しみも、すべてのことが人生の糧になって吸収されていく。いくつになっても大切なことではあるけれど、そんな「生きる」ことが新鮮で、あぁこの時代楽しかったと、今なら振り返ることができる。

続く

時の創造性

2010 年 11 月 27 日 土曜日

「いそがしい」
「時間がない」
という言葉を使うのがきらい
それは変わらない

限られた時間や人生を 駆けるのか、ゆっくりじっくり歩くのか
自由のようで自由じゃない

時の神様がいて 時をつくり、時間を前へ進めるのなら、私に与えられた時間は私のものじゃない

万物を産む時間がやはり、何かの力によって産まれている
ならば絶対的な個人所有物の概念はもはや存在しないんじゃ?もはや物質的な存在はすべて虚なんじゃ?

それでもなお!心に意志が存在してるとしたら?
現実社会の所有は、Givenなのだろうか
それともChoiceなのだろうか

いたばしのいっぴん

2010 年 11 月 19 日 金曜日

完熟柿の焼酎浸け

スプーンですくって頂くデザートで、とろけるような柔らかさと深い甘さ

とても贅沢な季節の一品

東京ネイティブ

2010 年 11 月 13 日 土曜日

Tokyo Native
東京生まれ東京育ちの人が、今増えていっている

0歳から14歳までだと実に90%以上が東京Native、ここ数年では30代40代の親世代がリターンしてきて、さらに全世代でNativeが増加

東京Nativeが増えると、東京のライフスタイルはどう変化する?
東京Nativeが増えると、住宅供給はどう変化する?住居形態はどう変わる?
東京Nativeって、じゃあどんな人?

初心?に帰る

2010 年 11 月 2 日 火曜日

トップページにひっそりとある、またたび日記の連載

たまに過去を振り返り、初心忘れるべからずということで、学生時代の旅日記を書いている

そのころの写真を整理していて出てきた一枚

7年前
25歳の私

どうでしょう
ヒゲ以外はあんまり変わってないのかな