板橋区議会議員 坂本あずまお あずまお日記

2010 年 12 月 のアーカイブ

ししがしら

2010 年 12 月 31 日 金曜日

本日も赤獅子さんで行います。
最近、特に仲良し。

みそかっぱらい、そして獅子舞の意味

2010 年 12 月 31 日 金曜日

大晦日に写真のように小さなシデで家族の頭を「ミソカッパライミソカッパライ」と言いながら払う
今年も自宅では、神社に行く前にこの行事

毎年、菅原神社の神楽殿では年が変わる時に合わせ、私の獅子舞の奉納をさせていただいている

新しい一年に邪気があるのなら、獅子が噛んで払う
たしかにこれは芸能ごとではあるけれど神事でもあって、今回は特にそのカミサマゴトだということを真剣に受け止めている

先日の区政報告の際に披露した獅子の舞
あれから、いろいろなことがうごめき出した

さぁ、平成23年を心して迎えよう

居住地の定着度に関しての比較

2010 年 12 月 27 日 月曜日

「この土地は、ご先祖様から引き継いだ由緒ある土地でございます」
「この土地は、私が初めて居として切り開いた土地でございます」

その土地に対しての愛着度は、ヒストリーとバージンのどちらが結び付きより強い?

古くから住宅地として切り開かれていた赤塚成増地域より、今住む世代がその土地の歴史上初めて人が住んだ高島平の方がよりNative率が高い

この事実、有りや無しや
如何に?

新年の凄み

2010 年 12 月 25 日 土曜日

年を越える、新しい年を迎える、という。
果報は寝て待てとも言うが、本当に来年は勝手にやってくるものなのだろうか。

ここ一、二年、来る年への怖さを感じ出していた
それは、自分に何が起こるか分からない恐怖と、予測できないという恐怖

今朝起きた時、また今年も越年への恐怖を感じた

またか、とも思ったがどうも様子が違う
大気が重い
空気の流れに違和感がある
なんなのだろう、世間はクリスマスといって色めき立っている
それへの反発か?いや、どうもそれとも違うようだ

12月25日土曜日、ということは次の週はもう違う年
つまり今年最後の土曜日
もう後がない、引き返したり仕切直すことはもう出来ない、今日からの日々は正真正銘の一発勝負
充満させたエナジーを一発で次年へ貫かないといけない

時は勝手に動いてるんでなく、動かそうとしなければ、動かないのだ
越年というのはそれ程の地球全体の一大事なんだろう

この世に人が誕生して以来数百万年、その何百万回もの越年をこの世は、時の神は繰り返してきたのか
そう思うと、オレの生きる道はどれだ!!

私欲を絶ち無欲になって全身全霊で生きなければ、明日はもうやってこない
それほどの気概を持って生きねばならんのだ

そこまでしてようやく、来年卯年を私が迎えていいのかどうか、試される資格くらいは与えられるのかも知れない

権力の暴力装置について

2010 年 12 月 14 日 火曜日

事実と一部違うかも知れないが私なりの解釈を記す

権力の暴力装置というその通りの言葉をマックスウェーバーが使ったかどうかは知らないが、(職業としての政治の中でかな?)彼が言っているのは国家権力の機能の一つとして軍事力が存在しており、その軍事力を暴力という言葉で表現した、ということ

そして、いわゆるviolenceを統制するための組織(政治)化された国家権力が暴力装置である
この表現を安保時代に左利きの人達が言葉のレトリックで半権力の標語として用いてきた

官房長官の発言に関しては割愛
興味なし

現在、いわゆる暴力装置として機能している国家権力は、私は経済、特に通貨政策と考えている

当然武力とまったく同じファンクションにはならないが、通貨戦争の他国家に与える影響は、生死に関わる本能的な恐怖よりも不可視なだけに余計恐ろしい
忍び寄る侵略に取り返しのつかない被害を被るまで気づかないのだ

国の三大要素は国土国民国家である
その中で、国家が今取るべき政治は権力による経済支配なのか?否、国土国民国家が自由闊達にシンクロしあう舞台を維持するためのmoral sentimentである!
国家はマネジメントでなくファシリテイトに努めるのだ

今の世の真のジャスティスを判断するのは政治なのだ

ならば、
政治主導などということは、最高の可能性とポテンシャルを秘める国土国民国家に対する権力の暴力行為に他ならない!
政治は支配力でない、結合力であり新生の力なのだ