板橋区議会議員 坂本あずまお あずまお日記

2014 年 8 月 のアーカイブ

the End of Violence

2014 年 8 月 22 日 金曜日

“Define the Violence”

“Violence ? “

“Yes, define it. Can you feel it?”
ヴィム・ヴェンダース監督作品の映画、『the End of Violence』に、このフレーズがある。

ニュースで世界のテロや暴力犯罪が報じられるたびに、このセリフが頭に浮かぶ。

 

先般、板橋区議会の企画総務委員会で、『集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更に反対する意見書を提出して欲しい』という陳情が出た。

これは閣議決定が先月なされたこともあり、私は不採択を主張して、結果4:4、委員長採決により不採択になった。

この時に、意見開陳として私が発言した内容をまとめたい。

 

私は18から22まで、トルコのイスタンブルで過ごした。

その頃の初期はまだクルド人武装勢力のPKKがトルコ軍との戦闘状態を続けており、トルコ国内は正直安定していなかった。後半はロシアからのチェチェン共和国独立問題などがあり、また9.11以降はアルカイーダによる大使館爆破など、いろいろと日本に比べたら物騒だった。

私の通っていた大学はボスボラス大学と言ってボスボラス海峡に面した閑静な住宅街の奥にあり、とても風光明媚で治安も安定した地域で外国人居住者も多く安全と言われていた。

ある日、大学近くのお気に入り西洋風カフェに行った次の日、そのカフェが西洋化に反対する勢力により爆破され3名が亡くなった。

また、まちの中心部に向かうバスの車窓からいつも見ていた警察関連施設が、バスで通ったその日の夜中に爆破され、次の日にはフレームしか残っていない真っ黒のビルになっていた。

私がイスタンブルを去った次の月、アパートの部屋から窓から顔を出せば見える距離にある外資系銀行の高層ビルが爆破され、ごめんなさいえげつなくて。吹き飛ばされた遺体の肉片が近所まで飛んで来ていたと後から聞いた。

爆弾が破裂する音も、自爆テロにあった施設も、良く知るホテルへの立てこもり事件なども、実はさんざん身近にあった。

今だから言える話で、当時は家族が心配するから日本にはここまで伝えてなかった。そんな頃に知った映画監督がヴィムヴェンダースであり、この映画、the end of violenceだった。そして同じころ、1999年にはトルコ大震災にあい、数万人が亡くなった。

人の死とか、暴力とか、戦争とか、ちょっと他の同年代の日本人よりも、身近に感じてきたかもしれない。英国に住んでいた時も大学の同級生で9.11以降いなくなった(どっち側の人だったかはあえて言わない)人もいたし。

そこで感じたのは、『ひとは、死ぬんだ。』ということ。そして『肉体は滅びようとも、生きた証しは消えない』ということ。

 

色々なことを経験するたび、日本の平和と安全について身にしみた。反対に、暴力は絶対ダメ!なんて言うことも出来なかった。それは、暴力を振るわなければ、テロを起こして世界に惨状を周知しなければ、自分と自分の民族・家族・歴史・存在すべてが消えてしまう程のviolenceにあって泣き叫ぶ友達に『それでも暴力はだめよ』なんて言えるほど、私は強くなかったから。

でも、それでも、日本が掲げる『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』を誇りにしていた。すごいと思っていた。ほんとうに強い心をもったなんと素晴らしい国民なのか、日本人は、と。

 

the end of Violence。暴力の終わり。 いったい、いつ来るというのだろう。

今月の初め、8月6日に広島の平和記念式典に出席した。15日には例年の通り靖国神社に参拝していた。そこで考えたみた、原爆投下は止められなかったのだろうか。

 

身を以て感じたことを言いたい。

個別的な自衛では限界がある。家族や国民や生命、財産を攻撃から守るために、自衛の手段は検討されなければならないのだ。