板橋区議会議員 坂本あずまお あずまお日記

板橋区での浸水被害は、4年前の防災マップによる被害想定で予見されてはいましたが。。

2015 年 9 月 15 日

4年前に予見されていた浸水被害。
防災マップ作成者として、苦しく悩んでいます。

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先週の豪雨で床上浸水があった箇所は、地図で言うと右下の赤い暗渠の線上、板橋区坂下一丁目。
青年会議所(JC)と大東大生と地域住民と共に、区に先駆けて作成した集中豪雨の浸水被害予想マップ(板橋区防災マップ参加プロジェクト)には、今回の浸水箇所も記されていました。
「防災マップの真の活用は地域住民が主体となっていかないといけない!」として、5年前にe防災マップ全国優秀賞を獲得したこの取り組みを敢えて継続しませんでした。それが地域住民にとってよかったのか、私には分からないし、被害が抑えられたのかどうかも、分からない。
ただ、予見されていた被害が予想通りに出てしまったこと、それを少しも改善でき得なかったこと。これは事実で、そしてそれを止めるのが本来の私の区議会議員としての責務で。

議会と区役所の誰よりも板橋区の治水に関して調査をし、詳しい自信もありました。ただ、それが単なる知見に留まっていたことは、研究者でなく議員としての責務を全うしていなかったのでは、という申し訳なさと悔しさに、苛まれています。

 

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今回の被害は、6年前に成増3丁目で浸水した原因と同じく、下水(雨水排水)管の目詰まり。暗渠を活用した下水管の下流部で起こる事例、と推測。東京都下水道局さん、早く配管データをオープン化してくださいませ。

 

写真は、国土地理院数値地図の5mメッシュ(標高)のDEMファイルを加工したもの。青色ほど標高が低く、河川からの越水が走る可能性があるという図。

武蔵野大地の北限、崖線の緑 〜成増五丁目公園と旧白子川緑道にて 

2015 年 5 月 4 日

IMG_8181板橋区は武蔵野大地の北の端っこに位置しており、成増を流れる現白子川の工事前、旧白子川の流れは埼玉県と東京都を分ける境目となっています。

 

ここに位置する成増五丁目公園と旧白子川緑道は、私が小学生の頃から遊んでいた場所で、23区でも有数の大変に緑溢れる場所。

当時は相当な区の予算を付けて整備したはずで、電灯や柵がとても今では考えられないくらいに凝った作りのものを使用しています。

 

 

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今は昔。

当時はアスレチック器具(老朽化して撤去?)、川のせせらぎ(諸事情で水は流していない)、通称タイヤ公園(遊具としてタイヤが並んでいたけれど今は看護学校に)があったのに、知る人ぞ知る、というより埋もれてしまっている公共資産となっている現在。

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せっかくの設置にも関わらず、その後の管理や地域での取り組みへの誘導が甘かったと言わざるを得ない、過剰投資となってしまった状況です。

 

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この状況を改善する一つの策としては、現在は半径500m以内であろう利用者圏域を半径1kmに拡大すること。それで東上線成増駅と、三園1丁目まで入ることになります。

そのためには、自転車と徒歩でなく、もう一つのアクセスルートが必要に。バスですよね。

それと同時に、周知と情報発信が必要。

ただあるだけでコンテンツの魅力は十分なのか、それともイベントが必要なのか。また実施主体は行政か地域か、外部か。

 

 

 

 

今は公園だけ、の問題であるようなこの問題でも、実は政策やきっかけは単体で存在しているわけではなくて、多重の点と多層の面のレイヤーで繋がっています。

うーん、分かりにくいですね、つまり全ての地域課題への解決方法に、共通の道が一つある、ということ。

一縷の望みをかけて、取り組んでいます。

 

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3期目の議会活動が始まります。設計先行型のまちづくりに対して

2015 年 5 月 4 日

 

あらためまして、今回の選挙では4,396票を頂き当選致しました。

心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

眼前にそびえる政治課題の巨壁に怯まず、勇気を持って責任を果たします。

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今後の4年間、板橋区はインフラを中心として大きく都市の構造、そして人の流れが変わり出すことが予想されます。

その際に、どれだけ効率的に無駄なく、利益を最大化出来るか。またどれだけ長期的・広域的な視野に立って設計出来るかが、極めて重要です。

 

 

 

 

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選挙中にもうったえていた内容、皆さんが『あぁなって欲しい、こんなことになって欲しい』という理想の街の、更に上をいく現実がやってくるかも知れません。それもすべて今後の4年間で決まります。

設計先行型で、地域のライフスタイルが大きく変わる。しかしいいことばかりじゃないかも知れない。

いまそこにある現実、今ここで暮らしている感触、この声の代弁が私の責務です。

4年後もまた笑顔でこの街に暮らしていられるように、更なる誇りを持って暮らしていけるように、しっかりと務めて参ります。

 

 

 

 

 

地域課題2 都営成増アパート(成増団地)の跡地活用。多目的スポーツグラウンドの整備を!

2015 年 4 月 24 日

都営成増アパート、通称成増団地。ここは現在建て替えがすすみ5月に向けて引っ越し作業が続いています。

そして、これまでの団地建物の用地、約2.8haが跡地活用されることになっています。

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その土地の一部、今は更地になっているエリアには来年に民設民営の保育園、再来年に児童館と世代を超えた交流が可能な区施設が完成する予定です。

 

ですが、残りの約2ha分はまだ活用方針が決まっていません。

この場所に何が出来るのか。これが今後の成増団地だけでなく周辺の地域経済と人の流れを決定する、大変に重要な問題なのですが、近隣の方々の間でこの問題について正式に話し合われたことは一度もありません。

このままでは、東京都の意向で地域に何の必要もない施設が出来上がってしまうことが考えられます。

 

私はここに、スポーツグラウンドを整備したいと考えます。

なぜか。

それは、ここにはすでに野球やローラースケートなどのスポーツが根付いています。また、周辺ではいま荒川河川敷で行われているサッカーと野球が、雨が降るたびに競技出来ない状態となってしまっています。しかもそのグラウンドを板橋区のチームだけでなく、新宿区や都心区からもわざわざグラウンドがないためにやってきて奪い合っている状況があります。

東京全体の利益をみても、この場所に大規模スポーツグラウンドができることで、成増周辺の子供や大人のスポーツに触れる機会が格段に増えるだけでなく、あちこちから成増に人がやってくることになります。

これは、地域にとっても大変に有用です。そうすれば成増団地前にはもっとバスが通り、タクシー停車場が再びでき、団地=高齢化ではなく、団地=新しい地域の賑わいの象徴とさせることができるからです。

 

地域の活性化のために全力で働きます。

地域課題1 成増駅前の再整備!

2015 年 4 月 24 日

・改修もままならない北口ロータリーの現状。雨の日でも大きな荷物でも使い勝手のよい真のバリアフリー駅にします

バブルの末期、昭和の終わりに設計開発された成増駅北口ロータリーは、板橋区で初めての市街地再開発事業としてこれまで板橋区の中心的な市街地として賑わってきました。

http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/006/006074.html

http://tokyo.itot.jp/narimasu/interview/interview02

しかし、開発から30年経ったいま、このロータリーの施設と交通結節点としての役割は、足元から崩れ出しています。

IMG_8043足元はバブル期の高級タイル、もう在庫がなくて交換出来ず、点字ブロックも含めてコンクリで埋められています。

雨が降ると水たまりができ、足はびしょびしょに。また、一部分にしかない屋根に向けて、傘を挿した人が一斉に流れていきます。

一番人通りの多い動線には、急な20段の階段がそびえています。

 

完成から約25年、公共施設の維持管理更新は、長期的な視野に立ってしっかりと足元から取り組みます。

『今この駅を利用する方々の使い勝手』を向上させます。

 

 

・成増駅北口の自転車・バス・タクシーの現状を見直し、再整備に取りかかります

成増駅のロータリーは、開発当初の状況から交通量が大きく変化しました。バスのバス待ち、銀行と西友前の自転車、がらんと空いたタクシープール。

自家用車での送迎、停めるところも降ろすところもありません。

実は市街地再開発事業で建設されたこのロータリーは、たとえ区道であろうとも勝手に設計変更をすることが出来ない縛りがあります。

この『法の壁』を乗り越えて、成増駅が以前のように板橋区だけでなく地域の交通結節点として機能させます。

東京のはじっこの板橋区、板橋区のはじっこの成増。そうではなく東京中や日本中からこの成増地域に視線がむくような『大化け』した街の発展を5年以内に実現を目指します。

 

・ 成増駅南口、駐輪場を増やさねば! 商店街の賑わいを進化させる!

成増駅南口周辺の駐輪スペースは、今でも既に必要台数の6割近くしか満たしていません。今後駅直結ビルや駅周辺商業施設の開発が進むとさらに駐輪場は不足します。これまでのやり方と大きく手を変えて取り組まなければなりません。様々な手段を用いて対応します。

また、成増の商店街振興に足りていないのは、女性の視点。カフェ、ランチ、雑貨屋などの居場所作りだけでなく、子育て中のお母さんがちょっとした時間だけでも子供を預けて買い物出来る託児所が必要です。駅前への保育・託児施設の誘致に取り組みます。

 

・踏切の渋滞、危険性、これらを一気に排除出来る、東上線立体化への道!

数十年にわたり、板橋区内の開かずの踏切や事故の多さはどこの駅を問わず大変な課題でした。いま、大山駅から立体化の話がスタートしています。成増駅までこの立体化の話を繋げられるのかどうか、これは地域の盛り上がりにかかっています。

私は、成増駅のホームを一段下げて半地下にすることで、駅前周辺の渋滞解消と交通安全、そして南北の商店街が一本に結びつくと考えます。

機運を盛り上げていきます。

議員を志したきっかけ 立候補への決意

2015 年 4 月 18 日

志し

板橋区成増で生まれ育ち、小さい頃から近所のおじいちゃんおばあちゃん達に面倒を見てもらいました。

cover005その時教えてくれた地域の歴史はとてもおもしろいものでした。地名の由来、戦前まであった川で遊んだこと、底なし沼があった場所、マンションの下に遺跡が埋まっているなどなど、上げたらきりがありません。

また、板橋の郷土芸能『成増里神楽・獅子舞』の継承者として5歳の初舞台以降、多くの神社や慶事で獅子を舞っており、阿波おどりは30年来のお囃子担当です。

 

 

 

高校を卒業後、私は単身トルコと英国の大学へ進みました。

 

DSCF0487_2イスラム・欧州双方の文化に直に触れ、またテロや海外での被災も体験した8年。卒業後は中国での浄水事業に関わりましたが、これらの経験で得たことは『異なるものを理解する術』です。

まったく異なる文化・習慣・歴史の中で生きてきた人々と相互に理解をし合うことの難しさ、そして可能性。

そこには新たな創造性が生まれてくる希望があると同時に、衝突を乗り越えて右の正義・左の正義を結びつけるのが政治の果たす役割だ、と感じました。

これが、私が政治の道を志したきっかけです。

 

 

板橋区議会自民党の最年少28歳で議員となり、2期8年。現在36歳。

日本の伝統、異国の文化。この双方に包まれたからこそ感じることがあります。

それは「古いものに固執・誇示するだけでは何も生まれない。伝統は新しい息吹と相まって漸く時代にあった新しい価値を生み出す。」ということです。

新しい希望の創出こそ、私達の暮らしに明るく楽しく元気な“今”と“未来”をもたらすのです。

 

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新しい暮らし、板橋区が変わります。

 

実は板橋区生まれ板橋区育ちの区民は全体の約2割。1年間で4割の人口が流出入をすると言われています。お仕事、学業、家族の転居など多くの理由で板橋区に『今』暮らす方々が、この街を支えています。

駅前開発、家庭教育、医療と介護、防災力。

今を生きる皆様の知恵とお声で、この街の魅力・底力を高めたい。板橋への愛着とともに、新しい暮らしの創造を実現させます。

 

10年後のいたばし 長期基本計画審議会にて今期4年間の議会活動を終える。

2015 年 3 月 27 日

今日開催された長期基本計画審議会にて中間答申案がまとまり、区長に提出された。

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この『長期基本計画』というのは、20年に一度、板橋区がどのように進むのか、何を目標として掲げるのか、どんなまちが望ましいのか、を区民・議会・行政・学識が一体となって議論するもので、

『いきいき暮らす緑と文化のまち“板橋”』

という標語を決定したのがこの審議会。

20年に一度、だけれど、これだけ変化の早い時代の中では10年経った今年度に一度見直しが必要だ、ということで約1年間にわたり開催されてきた。

実は、どうしてもこの審議会には参加をしたく、自民党区議団の幹事長にお願いをして審議会委員にしてもらったほど、思い入れの強い会議。ようやく今日が選挙前最後の会議であり、中間答申案の提出となった。

 

 

緑という自然環境、四季折々の姿を示すこの郷土に、歴史・伝統の継続性によって文化が栄えてきた板橋区。

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10年後のいたばしに向けて『いきいき暮らす緑と文化のまち板橋』の標語を具体的にどう実現していくのか、そもそもこの方向性は正しいのか。そこで出てきたのが、『未来をはぐくむ緑と文化のかがやくまち“板橋”』という標語である、と今回の審議会で答申がされた。

 

私にとって緑と文化とは、春夏秋冬・季節という継続性、切れば終わりの刹那的要素、この両方が織りなしてきた姿だと思ってる。

それが革新的な新しき創造性(Creativity)を生むとき、未来を輝けるものにするのではないだろうか。

 

10年経っても普遍的に重要なこと、10年の間に発生するだろう革新的で創造的なこと、この二つに一本の政策的な筋道をつけるのだから、広がりすぎた大風呂敷をまとめるような大変な作業となる。

願わくばもう少し膝をつめて密な議論をしていきたかったが、それこそ将来を議論することは永続的に繰り返していくべきこと。

仲間と共に、将来を明るく輝かしい未来とするために、緑と文化とともに、その創造力を発揮させていきたい。

 

 

今日で、2期目4年間の議会での仕事が終了した。

まだまだ、政策創造の道は続いていく。これからも一歩一歩前へ前へ進んでいくために、歩き続ける。

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2015板橋cityマラソン!そういえば

2015 年 3 月 27 日

先週末、3月22日に開催された板橋cityマラソン2015、今回は仲間4人と5キロ走に出場してきました。

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フルマラソンは1回、5キロは何回目だろう、出場していますが、今回ほどまっっっっっったく練習しなかったことはなく。

 

けれど!ゴールのタイムは、フルマラソンに向けて練習をしていた時期とほとんど同じタイムで、しかも一度も歩くこともなく極めて順調にゴールすることができました。

 

 

春の訪れを感じるこの時期、河川敷で風を受けながら汗をかく、ほんとに気持ちがいいのです。

また、そのあとの焼き肉とハイボールがもっと最高なんですけどね!

 

来年も、もっと大勢で走りたいと思います。

板橋ブランドの野菜、志村みの早生大根(しむら みのわせ だいこん)

2015 年 3 月 27 日

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板橋区発の江戸東京野菜「志村みの早生大根(しむら みのわせ だいこん)」の作付け準備が今季も始まりました。

この大根はかつて江戸野菜として多く栽培されていましたが、病気に弱く、青くび大根が開発されてからはめっきり生産が減り、昭和40〜50年代には消滅してしまったという幻の板橋産の野菜です。

数年前からJA東京あおば青壮年部が中心となって復活を目指し、現在は15名の生産者で品種の安定化に努めているところです。

 

 

 

私も実はこの青壮年部の端くれに所属しており、お前もちっとは手伝えや、ということで今年からど素人ながら挑戦させてもらうことになりました。なんでも自分でやらないと気が済まない性格なので、怖いもの知らずです^^

 

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まだまだ市場に流通させるまでのサイズ、品質、出荷時期などの安定性がなく、関係者のみで作付けをしている段階です。

夏野菜の『みの早生』、といっても昭和中期の頃の気温とはまったく違うこともあり、種を蒔く時期や収穫までの日数が当時とはまったく違う状況。手探りで、毎年試行錯誤を繰り返しているところだと地元の先輩農家から教えてもらいました。

 

5月の連休明けに、種を蒔く予定です。

 

 

 

 

40〜45日後、自信を持って収穫した大根を手に写真が撮れるよう、祈っていて下さい!

失敗したら私の責任、収穫出来たらお天道様のおかげ、種の実力。

 

乞うご期待!

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地元の農家の先輩の一人。この大根は青首大根。

実際のみの早生大根は、これの半分以下の太さでちょっと辛いと言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 


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板橋区の地名の由来。古代から現代、そして未来へ続く架け橋として

2015 年 3 月 24 日

『板橋区』と言います。

その名の通りに「板の橋が現・仲宿の石神井川に架かっていたので、板橋という名がついた」

というのが、現在定説になっています。が、これは本当でしょうか。

わたしはこれとは別の理由、それは『 イタ=崖や河岸=武蔵野の台地、ハシ=端=台地の北限』に由来しているのではないかと考えています。

 

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『いたはし』 この言葉は「延慶本平家物語」(1180年)にはもう登場します。

源頼朝がこの地に布陣をひいたとあり、また赤塚周辺には鎌倉古道という通り名がいまだに残っており、平安・鎌倉時代にはすでに人の往来が多くあったと思われます。

さらにさかのぼると、板橋区内の縄文、弥生時代の遺跡の多さは23区で4番目。現在の仲宿周辺だけでなく、成増、小茂根、志村のあちこちにも遺跡が点在しています。

(区名の由来) http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/001/001171.html

 

 

その後の古墳時代の遺跡までは数多くあるものの、中世・江戸期になると、農村地域(江戸の台所を支える)地域と変化していき、いわゆる文化財的な遺構は神社仏閣とそこに根付く伝統芸能が中心となっていきます。

 

 

 

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実は、私が担っている成増里神楽保存会の獅子舞は、相模流。江戸流でなく神奈川県相模の流れを受けています。お正月の慶事の際に見る、唐草模様の身体で頭を噛んでくる、あの獅子ですね。

 

 

 

 

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一方、成増のお隣の赤塚諏訪神社、徳丸の北野神社で行われている直立して振る舞う獅子は、反対に北方系から伝わったとされるようです。頭にはカラスの黒い毛、太鼓を叩きながら四方を囲った中で踊ります。(写真は板橋区観光協会より)

 

 

 

 

 

お隣の戸田市職員とお話ししたところ、戸田は東西二流れの文化が荒川を挟みちょうどぶつかる交差点として栄えてきた。だから東西南北からの多種多様な文化が混ざり、現在も郷土芸能や伝統文化の彩りが豊かなのだ。と伺ったことがあります。

 

伝統文化の様相が示すように、この『いたばし』の地は古くより、北方と南方の文化の結節点として栄えてきたのではないでしょうか。それが旧石器・縄文期から続く多くの遺跡に現れており、南北(もしくは東西)の伝承が双方共に残っていることにも繋がっているのではないかと推測しています。

 

現在、都市開発などによって古くからの地名、歴史、時代が知らず知らずに消え入っています。

先日の議会でも、昭和の時代に編纂された「板橋区の地名」という冊子について提言しましたが、ここには、いまや口伝えのみで残る古くからの地名が掲載されており、各区立小学校で地域の歴史教材として使用してもらうことになりました。

昨年の 夏に起こった広島の土砂災害のように、地名というのは人と同様『名は体を表す』ものです。

 

温故知新、古代から現代、そして未来へ。同じ台地の上で暮らす私達の歴史と今を紡いだその先に、新しい未来があると私は信じています。