政治を志したきっかけ1〜トルコ編〜

ここまで生かしてくれた命の恩をふるさとへお返しする。

それが私の、区議へ立候補したきっかけでした。

28歳で立候補し議員となってから12年。あらためて今、私がどうして政治を志したのか、今後の道はどうあるのか、自分自身振り返りながら記していきます。

私の生まれた地域は昔から名物議員と言われる方が多くいて、政治はとても身近なものでした。「コーゾーさん」「キヨシさん」(元都議会議長の故田中晃三さんと、現区長のお父さんの元区議故坂本清さん)と、幼少の頃からよく立場も分からずお呼びしていたものです。

トルコ

中学生のとき、両親がエジプト・トルコ旅行に連れて行ってくれました。
詳細は「また旅日記」へ

そこでイスラムの「感じたことのない異質感」に強く興味を持った私は、高校を卒業後に単身トルコのイスタンブルへ渡ります。まずそもそも、そこでどうしてトルコを選ぶ??とは、今だに会う人会う人から聞かれます。が、そこでの4年間の体験は、まさしくかけがえのないものでした。

イスタンブルの生活で、常に考えていたのがふたつあります。それは、【死】と【幸せ】についてです。

死生観

言葉の通じず、育った文化や環境、考え方も全く異なる人間との交流。宗教、学問、生々しいほどの貧困格差と民族紛争。そして1999年に襲った大地震と、人のパニック。

私が今ここで、誰にも分からず死んでしまったらどうなるのだろう。誰も知らないバスの中、爆破テロにあったらどうなるのだろう。船から転落して海に落ちたら、はたして見つかるのだろうか。死への不安。日本ではニュースにならない爆発。

辿り着いたのは「人の繋がり」でした。この世の全員、たった一つの同じ太陽の下にいて同じ月を見ている。たった一人でいい、誰か一人と話をし連絡をし繋がっていることで、どんなことがあっても何が起こってもその身はきっと魂の故郷へ帰れるのだと。

幸福感

そしてもう一つ。幸せ、とはなんだろうか。
国で一番の地位と名誉と権力を持つ王様は、国で一番幸せなのだろうか。かのオスマン帝国のスルタンは、たった一人の男の後継者を残すためにハーレムという男子禁制の館に閉じ込められ、朝昼晩来る日も来る日も世界中から贈られてくる「貢物の女性」と子作りをさせられ、たとえ何百人の子孫が出来ようと王位継承者以外の男子は全員処刑される。ニュースやテレビで当時報道されている現代の大統領や治世者は、極めて大きな争いを起こし孤独に苛まれながら人の命を奪う決断をする。

しかし一方で市井の人間は、たとえ貧しくとも家族とともに暮らし、自由に町を歩き、何気ない景色やお茶に最高の笑顔を醸す。そう、一人じゃない。

思うのです、何が幸せなのかと。

何が国家であり、何が民族を形成し、そして海や大地や森の為す国土とは何なのか。トルコで4年間感じていた疑問は、日本とトルコだけでは解決できず、更なる比較対象が必要でした。

そして、英国へ行き、学ぶことを決意しました。