政治を志したきっかけ2〜英国編〜

ここまで生かしてくれた命の恩をふるさとへお返しする。

28歳で立候補し議員となってから12年。あらためて今、私がどうして政治を志したのか、今後の道はどうあるのか。その1トルコ編の続き、英国編です。

英国と政治学

国家、民族とは、そして国土とは何なのか。トルコで感じていた疑問は、日本やトルコにいただけでは解決できませんでした。

このままでいいのか。そんな思いが爆発し、英国へ政治を学ぶために飛びました。そのとき22歳、同級生は就職を迎えていて思うところ多々ありましたが、私はマンチェスターへ移ります。

三者三様の『社会』

英国の地に着いた初めの一ヶ月間の感触は、トルコの時と同様に忘れられません。
ここでは『社会』に質量、を感じたのです。生まれて初めての感触でした。


それは、ふとしたところにあります。
行政サービスは、見つけ出すものでなく、聞けばすぐわかるもの。滞在証明や入学申請など、留学生のようなマイノリティに対しても当たり前のように仕組みが整っている。人々の振る舞い、マナー、人懐っこいトルコ人と全く違う、素っ気なさ。それらが、「綺麗に制度設計された社会デザイン」として質量を持ち、色づいています。

「生きようとしなければ、ここでは生きていけないよ」

そんな4年間の状況とは違いました(トルコも悪いとこばかりじゃありませんが)。確かに日本も同じような社会制度ですが、トルコと英国と日本の3者を比較して初めて分かることが往々にしてありました。

ひと、社会、歴史、文化、風俗、食べ物、心、考え方。水や湿気や空の色までも。
民族とは、国家とは、国土とは、一つ一つの小さな細胞の集合体としての現れであって、政治もまたこの彩りを理解し治世していくもの。

そんな思いで、英国で政治学を学びます。

【政治学】といっても地方自治でなく、国土・国民・国家の思想と源を求めて

専攻は、政治学。現代国際政治やEUも学びましたが、おもに17世紀頃のNation-state (国民国家論)について多く取り組んでいました。

現代トルコ人といっても、大きく分けただけで5つの系統(トルコ、アラブ、地中海、スラブ、ロシア)があるそう。そこから時代を経て血が交流し、大きく大陸内を移動し、それでも一つの現代トルコ共和国の領土内で『トルコ人』という強力な繋がりを保っています。(さらにそこからクルドやアルメニアなどの問題もあり)。

英国のブリテン島を考えると、日本人から見ればほとんど見た目で違いが分からないUKとIRAが紛争していた一方で、アフリカ系中国系が英国人として確固たる暮らしをしている現在の状況。

このような欧州の大地で、どうしてNation-state(国民国家)という思想が生まれてきたのか。国土をもたない歴史が大半のユダヤ民族とはいったいなんなのか。アフリカ大陸の言語の細かさとは。そして、日本民族とは、ヤマトシマネの国土とは。

導いた答えは、国土主権、でした。人がこの地球上へ誕生する前から存在していた大地。地形によって、川の向きや平地の広がりや海や森や、気候天候で地上の生物を適応させた、大地。この大地についてもっとoriginと現在をマッチさせ治世を考えるべきでは。現代政治にはそこに齟齬があるのでは。国土に、主権があるのでは、というものです。

今から思えば、私が今GISで地図上に区政情報をレイヤーにしているのは、ここに源流があるのだと思っています。

この四年間には、9・11がありました。アルカイーダなどのたくさんの国際テロばかりでなく、英国内の社会の頽廃も土地柄よく目にしましたし、怖い思いもしてきました。第1次産業革命で世界の中心だった街の、100年後の姿も。

そして、26歳。将来結婚する女性ともこの地で出会い、ふるさと日本へ帰国しました。